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タイトル 東京大空襲のとき、ボクは17歳 忘れられない隅田川――宮良さんに聞く
  ――私と日本共産党――
タイトル

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2009/03/10
 「みわさん、今日は、東京大空襲の資料展示会に行って、当時の被災者の方の話しを聞いてきたよ。毎年ボクはこの日は、必ず行くんだよ」宮良信永さん(81歳)がぽそっと私に話しかけてきた。

★おふくろと妹二人で逃げた夜、空は真っ赤  「畜生!」
 「3月9日の真夜中だった。空襲警報が鳴って外に飛び出したら、空からB29の焼夷弾がいっぱい降ってきたんだ。当時、兄貴は出征して、ボクは17歳、14歳と7歳の妹とお袋と4人で怖かったよ」「あの頃は、軍国少年だったからなあ。畜生、やりあがったな!と思ったよ。少年航空隊で志願していたからね」「今の江東区の方は、真っ赤に焼けていたよ。明け方から生あたたかい風が、俺らの住んでいた鶯谷の方にも吹いてきてね。いやな感じだった。そのうちにタンカで、真っ黒焦げの遺体・けが人がぞくぞく運ばれてきたんだ」

★5月 隅田川からみた死体の山  「なぜ、こんな悲惨な目に?」
 「当時のボクは、昼間は、逓信省(後の郵政省)職員で、夜は青年学校。今で言う中学かなあ、に通っていてね。夜学が、学校が焼けてんじゃないか、と5月頃、学校を見に行ったんだよ」「そしたらね。みわさん、隅田川の永代橋の手前からもう、焦げ臭いなんとも言えない、人間の焼けたにおいが、もわあっと漂ってくるんだよ。大空襲から2ヶ月たってもだよ。」「ボクが、永代橋から、ひょいと下を見たら、死体の山が、どんどんどんどん、流れてくるじゃないか。いっぱいだよ。どうしてこの人たちが、こんな悲惨に目に遭わなきゃならないのか。『どうして?』ってボクは考えたよ。戦争ってこんな悲惨なものだったんだ。そのとき初めて、強い疑問を感じた。」「だって、ボクはそれまで、軍国少年だったからね」

★2年後、共産党を初めて知った 今?入党歴62年だなあ
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 「志願兵だったのに、ボクは肺炎で高熱を出して、戦争に行けなかった。友人たちは行って、帰って来なかったよ……」「あの戦争に反対して闘っていた党があったんだと、戦争が終わって初めて、ボクは知ったよ。日本共産党だよ。19歳で入党して、平和のこと、九条守る運動、ずっと力を入れてやってきたよ」「隅田川の死体の山は、一生忘れないよ。言問橋も酷かったんだ。あれが戦争だよ」……宮良さんの心の奥に、ずっとずっと生き続けていた、目の当たりにした多くの亡骸。戦争を知らない私に、宮良さんは力をこめ語ってくれた。
 こんな命の奪われ方は、2度と許されないんだ、そんな思いが原点となって、62年間の、日本共産党員としての人生があった、と言う。

 日本共産党は戦前から、この戦争は間違いだ、と闘ってきたのだ。今日3月10日、私も心から哀悼の意をささげつつ、本当に命守れる政治に転換をと、あらためて決意した。日本共産党員としてあり続けるんだ、勿論、憲法9条は、守りつづけよう!と。
○参考
東京大空襲「時忘れじの集い」/きょう64周年

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