刻々、乗り越えゆく彼ら――フランスの週刊誌の取材に同行して――佐藤道夫
○いざ日本共産党の本部ビルへ
2月1日、3人の仲間は、フランスの週刊誌の取材を受けるべく、日本共産党中央委員会のある代々木へと向かった。取材は、なぜ若者が日本共産党に近づくのか、その背景を探ろうというものだ。
私は、その3人に付添いで同行した。今日の天気は、前日の薄ら寒い曇り空とは一転して、風はあったが快晴であった。松戸駅で待ち合わせて、常磐線に乗り日暮里で山の手線に乗り換えた。
○すでに先着者が!
共産党本部の受付には、すでに広報担当の方が待っていて、私たち4人はすぐに取材が行われる部屋に通された。フランス人のインタビューアーの隣には中央委員会の国際局の通訳の方が。
3人は対面する形で座ると、取材者の記者は、「日本共産党へようこそ!」と日本語で歓迎の挨拶をしてくれたではないか!一同緊張がほぐれてしまった。実は、3人が入室する前に、もう1人青年がいて、まだインタビューの最中であった。その青年とは、全員の取材が終わってから、本部の食堂で一緒にカレーを食べて一緒に懇談もできた。
○ネットカフエから派遣村経由・日本共産党へ
松戸の3人の、一人ひとりの話は違っても、共通するものが一つあった。それは、たこ部屋のような新聞拡張の職場から逃げてきて、ネットカフェから派遣村を探して電話したら、松戸の共産党の電話を教えてもらい、そこから三輪県議や松戸市議、地域の人々に助けられた。暖かく迎えられた。それがなかったら今の自分たちは無い、そういうものだった。
ここで練馬の青年支部の青年の話をチョット紹介しておこう。かれは、小泉が首相になったとき、同じ神奈川県人だったということもあり、自民党に入党したのだそうだ。ところが、小泉構造改革を目の当たりにして、これに疑問を感じ去年の10月に自民党を離党。それから、インターネットで各党の政策や綱領を調べていくうちに、共産党がどうも本物のように思えてきた。それで、共産党に入党したということだった。
○思想・信条の自由・・・
記者からの質問も終わった。最後に、顔を出すかどうかが話題になった。周りが配慮して「後姿では……」と言うと、それでは意味がないというのがフランス側の意見であった。その時、練馬の青年が「私の顔と名前を出して下さい。大上段に構えるわけではないですが、憲法では思想信条の自由が謳われているじゃないですか。それなのに共産党員だからといって攻撃されるのはおかしいです。是非、顔と名前を出して下さい」と言ったのだ。
○もう何も恐いものは、ない!
松戸の3人もそれぞれ自分の意見を言った。一人ひとりの意見を聞くことになったからだ。そのことについて一番慎重に見えたCさんが、「私も顔を出してもいいです。もう恐いものはありませんから」と静かに言ったのだ。
これから現れるかもしれない障壁や困難に立ち向かっていこうというエネルギーが、目に見えるようであった。彼らの中から沸き溢れるものが沸々と熱を発しているようであった。つい2週間前の彼らの暗く沈んだ姿顔を知っている私は、自分自身を乗り越えて変わっていく彼らの姿に、熱いものを感じた。
○負けないゾ!
場は一転して、松戸のある地域の新春の集いの会場に、彼ら3人の姿もあった。地獄からの脱出に手を貸してくれた県議らの姿も。三輪県議は言った、「いろいろな困難があっても負けないゾ!」。
私たちは今、大変な時代、新自由主義がもたらした大政治災害の真っ只中にあると思う。大企業の利益を最大限に上げるために、財界は、自公政権を使い走りとして操り、大企業にとってだけ有利な政治経済の仕組みを作った。
その決定的な場面で、問題の本質を見抜いて反対を貫き通したのが日本共産党に他ならない。そのことが次第に国民に分かり始めてきたのが今の瞬間かもしれない。
この日本共産党を大きくしてこそ、国民の苦難軽減という立党の精神と国民に対する責任を果すことができるというものだ。
今、国民は体験を通じて何が本物か、どの党が自分たちの味方なのか、その感覚をフルに動員して、アンテナを張り巡らして探している。それが、共産党の方に向けられているのではないかと思う。共産党がその期待に応えないで、どうする!そして、皆で連帯してこの未曾有の悪政、政治災害を打ち破ろう!だから「負けないゾ!」なのだ! ぼくも同感だ。
○関連
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党事務所に相談にきた青年らに 仏誌の取材(09/02/04)
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