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タイトル ――私と日本共産党――私と党との出会い
伊藤余一郎
タイトル

松戸西口、江戸川河川敷で。忙中閑有。
松戸西口、江戸川河川敷で。忙中閑有。
 私は中学卒業と同時に、栃木県黒磯駅から上野行きの「集団就職列車」に乗り、ある町工場で働くことになった。その会社での勤務は、賃金が低く、長時間労働が強いられ、残業が月平均130時間、最高200時間の月もあった。石川啄木の詞に親近感をもったのもこの頃だ。また、「馬車馬」のように働かせられることに大きな矛盾を感じていた。18歳になって勉強しなければと定時制(夜間部)へ通いはじめた。

伊東市議の手記を読み、触発され、筆を執ったみわ県議の啄木の歌
伊東市議の手記を読み、触発され、筆を執ったみわ県議の啄木の歌
 私が、党と出会ったのは、働きながら定時制高校に通っていた時だった。「社会部」というクラブに所属したら、民青(民主青年同盟)の諸君から「社会主義や共産主義に関する本を読むように」と教えられたことがきっかけである。寮生活は、6人部屋か10人部屋であったため、夜の12時頃までは眠らなかった。 私は同僚が寐静まった後、マルクスやエンゲルスなどの著書をむさぼるように読みふけることもあった。

 大学(法政夜間部)では、「政治学研究会」に入部したものの「革命闘争」を叫ぶ「トロッキスト」や中核派の勢力が支配していたサークルだった。彼らは、労働者の苦しみや怒りの声をまつたく理解していなかったし、理解しようともしないニセの「革命家の集団」だった。一年後に決別し、私は日本共産党に入党した。

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