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【2004年 9月県議会】教育基本法の改悪に反対する意見書趣旨説明(04/10/12) |
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日本共産党を代表いたしまして、発議案第31号「教育基本法の改悪に反対する意見書」の採択を願い、趣旨説明をおこないます。
今回この意見書案を提出いたしますのは、文部科学省が、9月21日の「与党教育基本法改正に関する協議会」で「改正」の法案づくりを進めることを了承し、来年の通常国会提出をめざし急ピッチで準備をすすめているからであります。小泉首相は、「任期中に基本法の改正をおこなう。準備を精力的にすすめたい」などとのべてきましたが、与党内の議論・検討段階から、政府内の法案づくりの作業段階に入ったことは重大です。
まず第一の反対理由は、今回の改悪が、教育基本法と一体の憲法の理念を削除し否定していることです。基本法はその前文で「われらはさきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意をしめした。この理想の実現は、根本において教育の力に待つべきものである」と高らかに宣言しています。そして「憲法の精神に則り」と、ことわったうえで、以下11条の条文を定めています。憲法と教育基本法は一体のものであり、「憲法の理想」は教育の力で実現する、この精神こそが基本法全体を貫く基調となっています。ところが、今回の「改正」作業の土台となっている与党協議会の中間報告は、これを全面的に否定し、前文から「憲法」そのものの文言を削除する意図をにじませています。
しかし、そもそも教育基本法とは何だったのか。この法律は第2次世界大戦が終わって2年後に憲法の教育版として、公布施行されました。制定に携わった田中二郎東大教授は「過去の誤った教育理念と方針を一掃し、民主的平和的な日本を建設するため、新しい正しい理念と方針をもってこれに変えた」と強調しています。戦前の教育勅語が戦争をするために教育を利用した、その誤りは二度と繰り返さないとの決意をこめて教育基本法はつくられたのです。この最も大事な原点を削除し、戦後の再出発を決意した憲法の理念と精神を真っ向から否定する改悪は、到底認めることはできません。
第2の理由は、教育の目標にいわゆる「愛国心」を新たに加え、現行の「平和的な国家」という文言を削除しようとしていることです。基本法は、教育の目的は「人格の完成」をめざすこととし、「平和的な国家及び社会の形成者として」「真理と正義を愛し」「個人の価値を尊び」「勤労と責任を重んじ」「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」を期す、ときわめて具体的に明記しています。
ところが改正案では、教育の目標に新たに「国を愛し」あるいは「国を大切に(する)」という文言を加えようというのです。しかし、そもそも「国」とは何か。例えば広辞苑では、自然的な国土、国家機構、国政、地方、さらに天皇の皇位や、役人、故郷など合計9種類もの内容が述べられており、そのどれをさすかで意味は全く違ってきます。しかもいずれの場合でも「国」を「愛する」愛しかたは、本来一人一人の見識や社会の自主性にゆだねられるべき問題で、それを法に規定して特定の内容を押しつけるとしたら、これは明らかに内心の自由の侵害といわなければなりません。
現に今、東京をはじめ全国で学校現場における「日の丸・君が代」の強制が進められ、東京都では教育委員会の幹部職員が生徒や教職員が口をあけて歌っているかどうかを一人ひとりチェックして回り、生徒が歌っていない場合、担任の教員が処分されていますが、国や行政が、どう愛するかという表現の仕方や愛すべき国のあり方にまで基準を示し評価をする、それに従わない者は処分する、この異常な事態はまさに内心の自由の侵害ではありませんか。
戦前、政府は、「日本ヨイ国、キヨイ国。世界に一つの神の国」「御国のために血を流せ」と歪んだ「愛国心」を子どもたちにうえつけ、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と、国民を侵略戦争に駆り立てました。今回の「改正」は、1948年に国会で無効が宣言され廃止となった、この教育勅語の復活を思わせるものです。まさに「人格の完成」を目的とし「平和的な国家及び社会の形成者」の育成をめざした教育基本法の理念を、根底から覆すものと言わなければなりません。
第三の理由は、基本法第10条第1項は「教育は不当な支配に服することなく」と定めていますが、それを「教育行政はと、行政という言葉をいれて、不当な支配に服することなく」と書き換えようとしていることです。
そもそも現行教育基本法は、「教育」そのものと、「教育行政」つまり国の文部科学省や地方の教育委員会などをきちんと分離して、「教育」は「教育行政」によって介入されたり支配されたりしてはならないと明確に禁じています。それは、制定に携わった文部官僚自らが解説本で、「戦前の教育制度や行政は著しく中央集権化され、教育の自主性が尊重されず――」と語っているように、戦前の教育への痛切な反省によるものでした。だからこそ基本法はさらに第2項で、「教育行政は、この自覚のもとに教育目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」と、行政の目標はあくまで「諸条件の確立」のみだと、わざわざ限定、制約をしたのです。
ところがこれを「教育行政は不当な支配に服することなく」と書き換えれば、たとえば教員や保護者・市民団体などが教育行政への批判をしても、これを「不当な支配」だとして封ずる事もできます。行政への制約ではなく、国民への制約に180度摩り替わってしまう、まさしく詐欺的な改悪ではありませんか。戦前の教育行政への反省を投げ捨て、再び、教育行政を教育の上に君臨させる危険な意図を、到底容認はできません。
以上3点申し上げましたが、最後に強調したいのは、いま教育現場に生起しているいじめ暴力など様々な困難は、現行の教育基本法に原因があるのではなく、逆に、歴代政府が基本法の理念と精神に背き、その実行を怠ってきたことに最大の責任があるということです。国連子どもの権利委員会は、日本政府にたいし「極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもたちが依然として発達のゆがみにさらされている」と厳しい勧告を寄せています。また、大企業のリストラ競争のもと長時間労働や失業が家庭からゆとりを奪い、さらには「勝ち組・負け組」といった弱肉強食の競争至上主義や、政治経済にかかわる相次ぐ腐敗不正事件が、子どもたちの世界にはかり知れない有害な影響を及ぼしています。ところが政府は、そうした政治の責任には全く目をつむり、少年事件が起きるたびに、「この国のすばらしさを教えていくことが大切だ」などとして、逆に、愛国心や徳目を強制する教育基本法の改正に結び付けています。まさに本末転倒ではありませんか。
教育基本法改悪の本当の狙いは何なのか。いま憲法改悪の激しい動きのなかで、憲法と教育基本法は文字通り一体のものとして、変質させられようとしています。自民党と民主党でつくる「教育基本法改正促進委員会」の総会で、民主党の西村真悟衆院議員は、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人をうみだす」と述べましたが、改憲論は「戦争をする国」づくり、教育基本法の「改正」論は「戦争する国を支える人」づくりであることは、いよいよ明白ではありませんか。
戦争しない国から戦争する国へ、この危険な策動を絶対に許してはなりません。教育の憲法とも言うべき現行基本法の改悪を許さず、その完全実施を強く求め、議員各位のご賛同を心からお願いいたしまして、趣旨説明とさせて頂きます。
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