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【2001年 2月県議会】学校現場における「日の丸」「君が代」の強制に反対する決議(案)の趣旨説明(01/02/21) |
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日本共産党を代表いたしまして、発議案第3号「学校現場における『日の丸』『君が代』の強制に反対する決議」の採択を願い、趣旨説明をおこないます。
今回この決議案を提出いたしますのは、そもそも「日の丸」「君が代」が、国旗・国歌として法制化されたとはいえ、国民やこどもたち、教育現場には絶対に強制してはならないからであり、卒業式を目前に控えた今、県教委が学校現場に押しつけている職務命令などという不正常な事態は、早急にとりのぞかなければならないからであります。
第一に、今回の職務命令は、「義務づけはしない」とした一連の国会答弁、及び文教常任委員会の教育長答弁に明らかに反するものであります。99年6月29日衆議院本会議において、当時の小渕内閣総理大臣は「法制化にあたり、国旗の掲揚に関し義務づけをおこなう事は考えておらず、国民生活には何ら影響や変化が生ずることとはならない」と答弁、有馬国務大臣は「国歌についても同様」とハッキリ答えています。国会だけではありません。千葉県教育長自身、文教常任委員会で、「強制はしない」と明快に答弁なさったではありませんか。今回の職務命令が、国会答弁に反し、教育長答弁にも反し、いわば二重に県民をあざむくものであることは明白ではありませんか。
第二に、今回の職務命令は、日本国憲法第19条で明記された思想・良心の自由、いわゆる内心の自由を、真っ向からふみにじるものです。内心の自由とは何か、「何人も自分の内心、つまり世界観や思想、政治的意見については、国家による干渉、強制、圧迫を受けることなく各人の自由な判断に委ねられている」という事であります。ところが、今回の職務命令のように、国旗・国歌の一般的意味合いを教えるにとどまらず、一律に実施を義務づけるやり方では、この内心の自由が侵害されるのは明白です。
県教委は「歌いたくないなら、無理に歌わせない。だから、強制はしていない」と言いますが、これは内心の自由とは何たるかを全くわきまえない暴論です。「註解・日本国憲法」では「いかなる思想を抱くかについては、これを口外し、又は沈黙する自由が認められている」として、内心の自由には沈黙の自由があることを指摘し、政府もこれを認めています。自分がどんな思想や考えをもっているかを「表明しない自由」を憲法が保障している。ところが、今回のような一律に義務づける指導で、それが守られるでしょうか。起立しないことによって、斉唱しない事によって、その人の思想や考えは事実上の「踏み絵」を踏まされ、表明しない自由は完全に蹂躙されるではありませんか。これが「沈黙の自由」と両立しえないのは、誰がみても明らかです。
第三に、そもそも、「日の丸」「君が代」の強制は、憲法の主権在民に反するからです。一昨年の国会質疑で、政府が「『君が代』とは、『天皇の国』という意味だ」と解釈した事から、「天皇の国の繁栄を願う『君が代』と国民主権を定めた憲法との整合性」が、大問題となって、反対の世論が急速に高まったのは、記憶に新しいところです。ところが、先日の文教常任委員会で、「君が代」の意味について問い正したところ、何と県教委は、「国の象徴であられます天皇が、いついつまでもお元気でいらっしゃいますように」と二度も答弁いたしました。こういう時代錯誤も甚しい解釈を、子どもたちに指導するための職務命令だったのかと唖然とするばかりです。主権在民の憲法はどこへ消えたのか。まさに、そら恐ろしい思いを禁じえません。
第四に、今回の職務命令は、子どもの権利条約第12条「意見表明権」および学校運営への参加権を侵害するものです。権利条約は「自己の意見を形成する能力のある児童に、自由に意見を表明する権利を確保する。児童の意見は、年齢及び成熟度に従って、相応に考慮される」と定めています。
既に、埼玉県立所沢高校では、生徒と卒業生189人が、「97年、98年度の入学式・卒業式における『日の丸』『君が代』の強制で、校長・県教委・文部大臣から、人権侵害を受けた」として、救済を申し立てていました。これに対し、さる1月26日、日本弁護士連合会(日弁連)が、「県教委と校長の行為は人権侵害である」と認定。埼玉県教委と校長に対して「子どもの権利条約第14条および第12条に違反をしている。日の丸、君が代の強制は二度と行わぬよう」と要望したことが、マスコミでも広く報道されたところです。
子どもたちの健全な発達のためには、こどもがあらゆる場で自分に関わるすべての事について自由に意見を述べることができる、決定過程に参加することができる、大人はその意見を「聞く」だけではなく、もし大人の意見と異なる場合には、理由を十分に説明し子どもが納得するよう話し合わなければならない、かつこどもの意見については相応に尊重する義務がある、これが子どもの権利条約の根本精神です。この立場にたつなら、卒業式の実施およびその内容については、式の主役であり最も重要な関心を有している生徒たちの、意見表明権は最大限尊重されて然るべきであります。
第五に、そもそも強制や命令は、教育現場にはなじまないという点です。この間、県教委は、生徒や教職員との意見の違いに対して、何ら道理ある説明ができないまま、命令で、押さえつけてきました。生徒総会や職員会議で、圧倒的多数が、反対の意志をしめしてもなお、職務命令を撤回しない。説得と納得、相互の信頼を旨とすべき教育とは全く無縁の態度ではありませんか。「職務命令は、校長に出したのであって、子どもたちに命令しているわけではない」などという、そんな詭弁を使うような事で、どうして教育者の名に値するでしょうか。
以上、5点にわたり提案理由を説明させていただきましたが、国旗国歌の強制などというものは、日本を除くサミット6ケ国では、どこもやっていません。これが近代民主主義国家のあたりまえの姿です。
そして最後に、私が強調したいのは、学校行事、卒業式の主役はあくまで子どもたちであるという事です。ご存じのように、子どもたちの代表、県内3つの県立高校の生徒の代表がそろって、さる2月14日、県教委に対して職務命令の撤回を求める請願を手渡しました。
議場のみなさん、子どもたちの声をぜひ、聞いてください。16歳、17歳、18歳、千葉県の子どもたちが、今、この議場をみています。「命令よりも話し合いを」「学校自治を守ってほしい」「憲法、教育基本法、子どもの権利条約を守ってほしい」―県議会が、この子どもたちの叫びを真摯にうけとめて、真正面から向き合っていく道を選んでこそ、真の教育といえるのではないでしょうか。
今世紀初めての卒業式、未来を担うこどもたちの権利を、一片の命令でおしつぶし、千葉県教育史上、重大な汚点を残すような事があってはなりません。学習指導要領を日本国憲法の上に置いてはなりません。職務命令は、直ちに撤回させるべきではありませんか。この事を最後に訴え、議員各位のみなさんのご賛同を心からお願いし、趣旨説明とさせていただきます。
2001年2月県議会
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