イージス艦が漁船を沈めて、1年
はたの君枝さん・子安=勝浦市議と共に、事故直後の漁港を訪問
あれから1年、地元の皆さんがあの時、何日も海べりで太鼓をたたいて、帰りを待ったのに・・・とうとう帰らぬまま、今日に至った。凍るような寒い海に投げ出された親子の痛みが、外記組合長や市原さんの無念の言葉とともに、よみがえる。
墓前にご報告されるという、記事を読み、あらためて合掌。若いやさしい息子さんが、これから父の仕事をつごうと、頑張っていた矢先の事故で、本当に腹立たしい限りである。
そして今も、その危険性が変わっていないことに、大きな怒りがこみ上げ、政治の責任の重大さを痛感する。一体、ここは誰の海なのか。安全な海を、安全な日本を取り戻さなければ、本当に安心して漁はできないのだ。犠牲者が出てもなお、《そこのけそこのけ、イ一ジス艦が通る》の海自の体質が変わらないと言う。1隻約1400億円と言われる、それ自体が不要ではないか、ということも含め、一刻も早い解決のため、奮闘しなければならぬ。そんな決意をあらためて、強くした。
○参考
*イージス艦衝突1年/友の漁船 帰らぬ港/“海自そこのけ体質変わらない”
千葉・川津
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